第6回永井隆平和記念・長崎賞 受賞者プロフィール
市丸 道人
(イチマル ミチト)
80歳
市丸 道人
(イチマル ミチト)
80歳
● 主な経歴
昭和25年3月 | 長崎医科大学卒業 |
昭和40年9月 | 長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設 治療部門(原研内科)助教授 |
昭和47年3月 | 長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設 治療部門(原研内科)教授 |
昭和55年12月 | 長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設長(併任) |
平成2年3月 | 長崎大学を定年退官し、同年5月から長崎大学名誉教授 |
平成4年~ | 佐世保市立総合病院院長 |
平成9年~現在 | 医療法人佐世保同人会 サンレモ リハビリ病院院長 |
● 主な活動歴
昭和25年~ | 長崎医科大学卒業後第二内科において血液内科学と原爆後医療の研究開始。白血病を主体とする原爆後障害研究の長崎の中心研究者となる。 |
昭和48年~ | 厚生省原爆医療審議会の専門委員として被爆者の医療援護の充実に尽くす。 |
昭和55年~ | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)に参加し国際評議員、長崎支部副支部長、顧問を務める。 |
● 主な選考理由
血液学専門の内科医・研究者として、長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設教授、同施設長を務め、約40年にわたって被爆者における放射線誘発性造血器腫瘍・癌の発生率を明らかにする疫学研究やその治療法の開発研究を行ってきた。
中でも昭和25年頃から始まった白血病多発の実態を長崎において解明したことは、医学的に卓越した功績と評価されている。また原爆放射線による後障害の存在と実態を医学的・科学的に立証して多数の英文論文を世界に向けて発表し、今日世界のすべての医学書において白血病多発の事実が記述されるに至った。
また、昭和56年(1981年)、米国バージニア州エアリーで核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の第1回世界大会に招かれ参加して以来、国際評議委員として米ソ政府の指導層への原爆後障害に関する教育・啓蒙を行い、昭和60年(1085年)のIPPNWのノーベル平和賞受賞に大きく貢献した。
長崎大学退官後もIPPNWの顧問として活動し今日なお核兵器廃絶運動を続けており、世界平和にも貢献している。
横路 謙次郎
(ヨコロ ケンジロウ)
78歳
横路 謙次郎
(ヨコロ ケンジロウ)
78歳
● 主な経歴
昭和27年3月 | 広島県立医科大学卒業 |
昭和37年4月 | 広島大学医学部附属原爆放射能医学研究所 病理学研究部門助教授 |
昭和42年4月 | 広島大学医学部附属原爆放射能医学研究所 病理学研究部門教授 |
昭和56年4月~ | 広島大学医学部附属原爆放射能医学研究所長(併任) |
昭和60年3月 | |
平成3年3月 | 広島大学を定年退官し、同年4月から広島大学名誉教授 |
平成3年~6年 | (財)放射線影響研究所顧問研究員(長崎研究所) |
現在 | 広島県医師会腫瘍登録室長 |
● 主な活動歴
昭和28年 | 人体病理学及び実験的放射線発癌の研究開始 |
昭和33年~ | 米国において放射線、化学物質及びウイルスによる発癌機序の実験的研究に従事 |
昭和36年 | |
昭和60年~現在 | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部事務総長 |
昭和62年~ | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部副会長 |
平成12年 | |
平成12年~現在 | 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)全地域代表理事 |
● 主な選考理由
広島大学原爆放射能医学研究所の病理学研究部門教授、同所長を務め、実験病理学の専門家として、50年余にわたって実験発癌の研究に取り組んだ。
特に放射線によって惹起される白血病や放射線誘発乳癌をはじめ種々の臓器癌の発癌研究を行い、我が国での放射線発癌研究の基盤を作った。さらに発癌研究はホルモンやウイルスによる発癌実験や発癌機構の解明におよび、我が国での実験発癌研究の中心的役割を果たした。
研究成果は多くの英文論文として発表され、また長年の研究をまとめた多くの著書は斯界の研究者から指導書として今なお高い評価を受けている。さらにこれらの研究成果は被ばく者医療の向上にとって大きな貢献となった。
また、社会的活動としては昭和57年(1982年)から参加した核戦争防止国際医師会議(IPPNW)での活動を中心として長年核兵器廃絶運動に取り組んでおり、世界平和にも貢献している。